学生時代の自分
ものづくりが好きで学生時代は高専(工業高等専門学校)にて
土木工学(道路や橋などの公共のものづくり)を学びました。
自分が中学生で進路に迷っていた年に、
東日本大震災が発生し「防災」に関わるものづくりの重要性を感じたからです。
(中学卒業から 5年+2年(大学院みたいな存在)の計7年同じ学校で過ごしました)
学生時代は、友達と目の前の面白そうなことに熱中していましたね〜!
目立つために、高校1年生で二度もブリーチをして金髪にしたり、
バンドでドラムをしたりと「The・若気のいたり」みたいな感じでした笑
日々を楽しむなかで、進路を決めなければいけない
5年生になりました。
このタイミングでほんとに急だったのですが
家族との死別を経験しました。
進路選択どころではない…
自分の人生ほんとにどう過ごしたらいいんだろう?
いつか自分も死ぬかもしれない。
どうやったら幸せ感じれるんだろう…
自分のこれからの人生に本気で向き合いました。
高専は特に工業系の大手企業への就職のしやすさが売りであり、
皆就職先を決めて活動する中で、
本当に就職していいのか決めきれない自分が居ました。
時間を設けて考える、自分を見つめ直し、学びを得るために2年間の進学を決意しました。
新たなものづくりとの出会い
進学先では自分の専門分野(土木工学)以外の授業も自由に履修できるようになり、プログラミングにふれました。
編入学してきた友達と寮でルームメイトになり、その友達から
毎日、プログラミング関係の学びや刺激の有る話ばかりで、土木工学以外のものづくりにも興味を持ちました。
ただ、この時にはすでに就活が終わり、地方公務員に合格していた状態でした。
家族からも周りを気にして好奇心に蓋をする必要はない、自分らしく生きるのだと言われ、心に迷いがある状態でした。
社会人生活のはじまり
卒業後は公務員として港の設計業務に勤めました。
住みよい未来や公共施設を作るという大義名分のもとで、
ものづくりをする大切さを感じていました。
きっかけ
しかし、就職1年目に実家がリニア新幹線の事業によって立ち退きを強いられました。
自然豊かな田舎に住んでいたため、
ゆかりある土地で積み上げてきた祖母の地元の人間関係が、公共事業で崩れていくのを目の当たりにしたのです。
防災面ばかりに考えが向いていた私は同じ公共事業に携わる技術者として、
ここで初めて有限の土地を活かしたり、犠牲にしたりして行うものづくりが「土木」なのだと認識しました。
建設業界では仕事の中で事業者の方、住民の方に工事をするということで調整と説明をしにいく機会があります。
この状況下で、心をなくしてまで、この仕事を続けることを自分自身には言い聞かせられませんでした。
この先、ものづくりを続けていきたい想いはありながらも、何の仕事をしていくか、
この出来事をきっかけに本気で考えさせられました。。。
【想いと挑戦】
立ち退きの出来事から
何かの犠牲の上に成るものづくりや、
別れの場面に遭遇するのは嫌だという強い想いがあります。
何のものづくりをしようか…と悩みながらも学生時代の友人との出来事を思い出して、始めたWeb制作。
コーディングによって作られるWebサイトは こういうサービス・モノがあると良いな、
という人たちを「繋げる」プラットホームであり、
人のご縁が新しく繋がって「ありがとう」と言われるものづくりです。
サイトを作るにつれて、自分がものづくりを通してこだわりたい想いである
「人の心を動かすこと」に合っている仕事だと気がつくことができました。
そして、私はWebサイトを作る中でこの3点に喜びと魅力を感じるようになりました。
- 人と人を繋げられること
- 作ったものが多くの人に閲覧されて影響を与えること
- 作ったものでお互いへの感謝や幸せな気持ちになれること
この強い想いと魅力から世間で言われる公務員の「安定」よりも、
「ものづくり」さらには「ことづくり(=サービス提供)」
に対する自分の気持ちに向き合い
人生を懸けて活動しております!